深いヨガ

ヨガという言葉は安っぽいメディアのせいもあってアーサナ(ヨガのポーズ)の代名詞になっていることが多いのですが、本来アーサナはヨガという生き方・哲学の一部です。

当然体が柔軟であることや細いことをひけらかすためのものではありません。ポーズを見せびらかすのはヨガの本質から最も遠いものです。もちろん、体は徐々に柔軟になってくれるので、できなかったことができるようになるし、その達成感は単純に嬉しいものです。しかしその達成感にすら執着してはいけません!というのがヨガの道です。

ヨガの道を進むと大抵自然な流れでベジタリアンになり(ならない人もいますが)、なんだかんだ痩せて体が引き締まってくるのですが、それはあくまでも副産物に過ぎません。痩せるとこれも嬉しいんですが、そこで終わりではなく、本当に大事な部分は、自分のしょうもないエゴをコントロールして、意識レベルを高次元に合わせ平和に保つところにあります。見て見て、私こんなすごいポーズもできるの!というのはエゴの声ですよね、ってことです。

現代のヨガの定義は、パタンジャリという昔の賢人が体系化して『ヨガ・スートラ』という本に書いたものがベースになっています。ヨガの目的は悟りを開くことです、更に紐解くと、そこに到達するまでに「ヨガの八支則(アシュタンガヨガ)」という8つの段階があるんですよ、と書いてあります。その中に、日頃の行いや心がけ、アーサナ、呼吸、瞑想などがあります。この日頃の行いや心がけの部分がヤマ・ニヤマと呼ばれているもので、それぞれ5つの項目があり、これが非常に深いのです。

私はYTT(ティーチャートレーニング)の前にヤマ・ニヤマに関しては本で読んでかなり感銘を受けていたものの、こんなの現実に実践するのは無理だろうよとも思っており、そのままのテンションで受講し始めたのですが。。。その中身を詳しく解説してもらうにつれてすっかりハマってしまい、1ヵ月のトレーニングが終わる頃には本気でどっぷりこのヨガの道を行こう!と決意していました。ちなみにそういう人は多いのではないかと思います。娑婆に戻ってからは私の心も常にシャンティ(平和)でヨガだけに集中!というわけにはいきませんが、それでもゆるゆるとサマディ(ヨガ八支則の最終段階)を目指しています。

結局アーサナだけではヨガの一番美味しいところは味わえないのです。ヨガの一番の醍醐味は、心の平和を手に入れることです。何なら意識的に平和な状態を選択してそれをキープすることができるようになるのです。そのときは心から安心して幸せです。そこに至る有効なツールのひとつがアーサナというわけです。

また、やみくもにアーサナの練習だけを続けるのは難しいですが、こういった全体の文脈の中で実践すると、得られるものが違ってきます。アーサナを繰り返すことで体を通して自分を知る、もっと言えば生きているこの世界の仕組み・真理を追究する。体をエネルギーとして理解し、アーサナの中で筋肉や関節だけでなくチャクラの位置やその意味を意識する。体の状態がはっきり分かるようになってくる。そこまで来てやっと、毎朝自宅でもヨガマットを引っ張り出そうかという気になれるというものです、私の場合。

レッスンをするときは生徒さんも早く体動かしたいだろうからあんまり長々喋るのは控えようとか、お友達にはこんなマニアックな話してもなあとか、色々思ってしまって結局深く話すチャンスがないですが、こんなことをいつも言いたいなーと思っています。

 

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