ヨガのティーチャートレーニング初日に、「ヨガは治療ではない」とはっきり言われました。代替療法のような顔をして、生徒さんに期待を持たせてはいけないと。とはいえ私がヨガに真剣に取り組むきっかけとなったのは、婦人科の検査で引っかかったことでした。その後ヨガを一生懸命にやるううちに色々と体質が変わって、いつのまにか問題ではなくなっていたので、それが結局ヨガの効果だったのかは正直分かりません。
ヨガの特定のポーズが何かの疾患を治してくれたことはありません。むしろ頑張りすぎて怪我をしたり、足の爪をマットにひっかけて割ったり、、、なかなかの負担を体に強いてきたと思います。明確に変わったのは身体のラインですが、これはピラティスや他のスポーツ、ダンスでも起こりうる変化です。
ただ、ヨガに真剣に取り組み始めてからの人生をよくよく考えると、自分の望む方向に少しずつ、無意識のうちに舵を切って、どうにか満足行くところへたどり着いたのが分かります。去年引っ越しするにあたり過去6年分くらいの日記を読み返して処分したのですが、それが丁度ヨガの深みにはまっていく時期と重なっており、その長期的な影響を俯瞰して見ることができたのです。
ヨガが直接何かしてくれたわけではないけれど、少しずつ調整するのに役立ってくれたというか、導いてくれたと言うべきか。ヨガがなくても楽しい今があったかもしれないけれど、やはりこうはならなかったのではないかと思います。
ヨガのポーズ自体ははたから見れば呼吸を意識した体操みたいなものなので、なぜそんなにもヨガを実践する人の人生を変えるのか、一見するととても不思議です。恐らくマインドフルに体を動かすなら、散歩でも筋トレでもダンスでも、ある程度同等の効果が体には現れると思います。
ヨガのポーズによって体に刻まれた記憶や意識を解放することができることがその鍵なのだと私は思っています。ヨガを体系的に学ぶときに必ず出てくる「5つの鞘 (kosha)」のお話。ヨガでは人間という存在を構成する複数の層を認識しており、単に物質的な体だけにアプローチするものではありません。そのため、ヨガのポーズも物質的な肉体だけを動かすものではないのです。目に見えないレベルにも働きかけます。
マットの上で淡々とポーズに入っているだけのつもりでも、様々な記憶や感情が湧いて来ることも、思わず泣けてくることもありますが、それに引っ張られ溺れることなしに、ニュートラルな気持ちで向き合い、認め、手放すのが良いとされています。
なぜここで思い切り泣いたり感情的になることを良しとしないかというと、ヨガでは仏教と同様に(元々同じ思想から発生しているので)、それらをエゴの仕業として、徹底的に忌み嫌うからです。エゴの説明をするには今度はヨガの八支則の最初に出てくるヤマ・ニヤマの話をしないといけないので次回にします。
ヨガの考え方に興味がなくても、ヨガ哲学を知らなくても、ポーズを通して体の方から整えられ、それとともに体が色々と訴えてくれるようになります。その声を聴くことで心も落ち着いてくるのではないかと思っています。